引っ越し用
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携帯から更新しようと思ってたけどそんな元気、私にはなかった。
木曜日、母からの電話で祖母が急逝したことを知る。 数日前の電話で母から「祖母は元気にしている」と聞いたので安心してたけど、うちの母親は自称「子供に心配かけないためには平気で嘘をつく」人なので母と祖母が会ったときにはもうすでに弱っていたんだと思った。 これって本当の思いやりなんだろうか。母は「綺麗な嘘や」と言いますけど、嘘には変わりはない。私は本当のことを知りたかった。 うちの母はいつもこういうことばかりする。いったい何がしたいのか分からない。自分が誰でも助けられるとでも思ってるんだろうか。 みんなには黙っておいてみんなが知らないうちに祖母の病気を治してしまおうとそんな馬鹿げた事でも考えてたんだろうか。 次の日の通夜当日、急遽祖母の住んでいた姫路に飛んだ。 兄貴と連絡を取らなかったが偶然、行きの新幹線でバッタリ会って姫路まで一緒に行くことにした。 A駅に着いてから兄貴と腹ごしらえをして通夜と葬式が行われる会館にタクシーで行った。 会館に着いてから急いで着替えて通夜が始まる7時まで親戚に挨拶したりして待っていた。 正直「お悔やみ申し上げます」的な挨拶をされてもこっちは何を答えていいのか分からない。 そんなの学校でも習わなかったし、母親から教えられたこともなかった。今まで親類で亡くなった人が居なかったからだ。 7時になって人生で初めて経験する通夜が始まった。親戚だけの静かな密葬だった。 正直坊さんが唱えるお経が面白くて笑っていた。モカさんもヤバかったらしいし兄貴も笑いそうになったらしい。偉そうに歩いてくる坊さんが「万福寺」の住職ってのが笑えた。まんぷくじって・・・ それまで全然泣かなかったけど通夜が終わったあと「おばあちゃんの顔を見てあげなさい」と言われて棺の蓋を開けられたとき初めて兄弟で泣いた。 その後、集まった親戚達と食事をして一通り食べ終わった後みんなは帰って行った。 私達は棺の前においてある蝋燭が消えないようにずっと起きていた。 その間、オカン・オカンの兄貴・おばさん、私・モカさん・兄貴で分かれて喋っていた。 別に暗い話をするわけでもなくキダタローのヅラの話などをして笑っていた。 各々風呂に入って眠った。朝の6時ごろ。兄貴はずっと起きていた。 次の日は葬式だった。朝9時くらいに起きた。 眠っている間に親戚がぞろぞろと集まっていた。 葬式は10時に行われた。 私とモカさんと兄貴はまたしてもヤバかった。 なんせ昨日の万福寺の坊さんに取り巻きが二人も居たから。 こういう時ってなんでしょーもない事で笑えるんやろ。 しかも一人はバチを落とすし。 3人も坊さんが来て軽いお経ライブのようになっていた。 私は笑いをこらえるのに必死で震えていた。 葬式が終わった後、私とモカさんは別々に親戚の車に、兄貴とオカンは棺の入った霊柩車に乗って火葬場へ行った。 火葬場に着き、とうとうホンマにお別れやねんなー・・・と亡き祖母の姿を見ていると周りが何故かザワついている。 よくよく聞いたらオカンの兄貴の車がはぐれて違う火葬場に行ってしまったらしい。 なんでやねん、一列に並んで来たはずやん。なんではぐれるねんと呆れながらも、みんな放ったらかしにしていた。 さすが嫌われ者。 で、いったん会館に戻り遅い昼食を食べた。 その後、また火葬場に戻りお骨拾いをするのだが、この時はちゃんとオカンの兄貴ははぐれずにいた。 焼かれて灰になった祖母の骨を見ると少し安心した。 道に迷わずに逝ってほしいと思っていたから。 喪主であるオカンが一番最後に喉仏の骨を拾うのだが何を聞いているのかオカンの兄貴が喉仏の骨をつかんで放さなかったため、オカンとオカンの兄貴で骨の取り合いになっていた。 その光景を見て私と兄貴とモカさんは笑ってしまった。 火葬場を出ると空がすごくキレイな青だった。 会館に戻るとすぐに別室でお経をあげてもらい、その後帰り支度をしてオカン、兄貴、モカさん、私で実家に帰った。 とにかく泣き笑いの日だった。 面白い人ってのは葬式までも面白いねんな。 不謹慎やけど。 PR ![]() ![]() |
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