忍者ブログ
引っ越し用
[2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昨日は久しぶりに美容院へ。
すごいプリン状態だったのでカラーリングもしてもらい、全体的に軽くしてもらって大満足。
それからは寝ずに過ごし翌朝(今朝)5時に自宅を出ると6時40分の新幹線に乗り東京へ。
目当てはDoCoMoの新しい携帯P905i。ゲットしてきました。
めちゃくちゃ画質がキレイ。
しかも初ワンセグ搭載機。
めちゃくちゃお気に入りです。


今回も約2週間の滞在。
滞在中にはスカパラ日本武道館2daysに参戦。
いずれも一番前のど真ん中ブロック。
楽しんできます。
PR
こないだ実家に帰った時に言われたことを書き留めておこうと思う。
私はどうやら言われたことを振り返るのが嫌らしく、脳が自動的に記憶を消してしまい、その結果、母親>私と言った感じで母親の暴言を許し、なあなあにして無かったことにし、また暴言を吐かれに「ママ~」と言わんばかりに実家にホイホイ帰ってしまうのである。


血液検査でなんら問題なしとの結果が出たことについて医者に「ええっ!あの太った子が?!」と叫んだ。
と笑いながら言われた。


父親がイタリア人のシェフを私に会わせようとしていると話すとあからさまに目が笑っていなかった。(私がこんなに不幸なのにお前を幸せにしてなるものか、男がいない物同士でぬくぬく傷を舐めあっていたい気持ちの表れ。2ちゃんねる「毒になる親」「娘に対する母親の嫉妬」スレより)


あと何個かあるだろうが脳がどうしても機能しない。
以前ここには「母親」カテゴリがあり、そこに「母はイタリア料理店に来るといつも自分は半分しか食べず「たっぷり食べなさい」と食べ物を押し付けてくる。そして私はそれを残すことなくたいらげる。」と言った内容の記事を書いたことがあるが、今日の私は成長したように思う。
ちゃんと拒否したんだから。
でもなんか母親といるとやっぱり惨めに思う。
隣にいたキレイ系の女の人が彼氏の話や男の話をしてる横で、普通の女性の1.5倍くらいの大きさの女とそれをいかにも過保護な目で見ているおばさんが当たり障りの無い話しかしていないのだから。


いっぱい食べや。たっぷり食べや。


この言葉って本当に親心として言ってるんだろうか。
それとも女として私を貶めるために言ってるんだろうか。


母親の真意など知っても意味がない。ちゃんと自分の限界を理解しなくては。
今日は野暮用で実家へ。
実家のマンションではもう駐車場は契約しておらず、来客用の駐車場に車を置いた。
野暮用をこなしているとインターホンが鳴った。出ると警察の人だった。
「車を移動させてください」と言っている。
来客用の駐車場に置いているのになぜ?と疑問に思い、駐車場に行った。
来客用の駐車場は2つあり、なぜかその2つの駐車場の間にマンションのシャッター(門)が下りている。
私はたまたまマンション内にある来客用駐車場にすでに車が置かれていたので、マンション外の来客用駐車場に置いたのだが、警察の人によるとこれがどっかの誰かの逆鱗に触れたと言うのだ。
マンション外の来客用駐車場はどんな車を置いても歩道にはみ出してしまう。それをどっかの誰かさんが「この車はしょっちゅうこの来客用駐車場に置いている。そしていつも歩道にはみ出している。移動させろ。」と通報して来たと言うのだ。
なぜか「申し訳ありません」と謝りだす訳の分からない母親を尻目に納得がいかない表情をしていると警察官の方が「うーん、神経が細やかといいますか、そう言う人もいらっしゃいますから・・・。来客用の駐車場やのになんでそんな通報されんとあかんの?と思うでしょうが・・・本当にごめんなさいね。移動してもらえますか?」と言われ渋々移動させた。
なんか無性に腹が立った。
なんでこんなことされなアカンの?
しかもしょっちゅうなんて来てないし!!!めっさ腹立つ。
文句があるなら直接言えよって感じ。


母親が「今度来る時は電車で来なさい」と言ってきましたがなぜ???
全然車で行ってやりますよ。私、客やで?来客用に置いて何が悪いんよ。
私はあなたに本当のことを話したいです。
私達はお母さんから不当な扱いを受けてきました。


小学校3年生の時、家に帰るのに駅まで迎えに来てもらってましたが、ある日いつも通り迎えに来てもらえるように電話をしても繋がりませんでした。
何度電話しても繋がらないので私達は3時間かけて歩いて家まで帰りました。
するとお母さんは「ごめんなー、ずっと電話しとってん。あんたらよう帰ってきたな。カラカラカラ。」と笑うだけでした。
次の日、学校に行くと担任の先生が「心配してんで!」と抱きしめてくれました。
心配してくれたのは担任の先生だけでした。


小学校の高学年の時、知らない男の人が家に住むようになりました。
お母さんは私達が帰ってくるのが嫌そうでした。
あらゆる面で窮屈さを感じるようになりました。
そのうちストレスで殺し合うくらいの兄弟喧嘩をしたり、家で暴れたりするようになりました。


高校にあがり私と妹は家に帰る時間が遅くなりました。
居心地の悪さを感じていた私達は夜ご飯を外で食べて帰るようになりました。
帰ると食事を終えた男の人はリビングのマッサージチェアでいびきをかいて寝ており、お母さんは「あー、帰ってきたん。」と言うだけの毎日でした。
家に帰ってきて喜んでくれるのはフーバーくんだけでした。


高校を卒業するのと同時に私と妹は逃げるように上京しました。
ストレスもない生活でのびのびと暮らしました。
2年後くらいに突然お母さんから男の人と別れたと電話がかかってきました。
電話口で「こんな母親でごめんな。」と泣かれました。
私は何も思いませんでした。
可哀想ともざまあみろとも他人事とすらも。
興味がありませんでした。


それからは私達にしがみつくようになりました。
あんなに邪魔者扱いしてたのに。
あんなに私達に疎ましそうな顔をしたくせに。


漠然と不当な扱いを受けたと言っても分からないと思うので、思い出したことを少しだけ書いてみました。
ただこれを書いたところでこうしろああしろと言うつもりはありませんが本当のことを知ってもらいたかっただけです。


ただそれだけです。


忍者ブログ [PR]
カレンダー
11 2025/12 01
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[09/26 makiko]
[09/16 まさこちん]
[03/04 makiko]
[03/01 asako]
[02/14 makiko]
最新記事
(01/06)
(01/03)
(12/30)
(12/25)
(12/25)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
まき
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事